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2021年3月24日水曜日

第275回研究会

● 日時:           202036日(土) 151830

● 会場:           Web会議システム「Zoom」を使用して開催します

● 報告者①:   鈴木秀美(慶應義塾大学) / 報告者②:宮地基(明治学院大学)

● 報告判例①: 2019116日の第1法廷決定(BVerfGE 152, 152、忘れられる権利第1事件)

https://www.bundesverfassungsgericht.de/SharedDocs/Entscheidungen/DE/2019/11/rs20191106_1bvr001613.html

/ 報告判例②: 2019116日の第1法廷決定(BVerfGE 152, 216、忘れられる権利第2事件)

https://www.bundesverfassungsgericht.de/SharedDocs/Entscheidungen/DE/2019/11/rs20191106_1bvr027617.html

     コメンテーター:中西優美子(一橋大学)

 

➣ 決定要旨(報告①)

1. a) EU法により完全には確定されていない国内法について、連邦憲法裁判所は、たとえその国内法がEU法の実施に役に立つ場合であっても、第1次的には基本法の基本権を基準に審査する。

b) 基本法の基本権の第1次的な適用は、EU法が、加盟国に個別法上(fachrechtlich)の形成の余地を与えている場合には、通常、基本権保護の統一性を目指しているのではなく、基本権の多様性を許容しているという仮定に依拠する。

このことは、さらに、EU基本権憲章(以下では、「憲章」)の保護水準が、基本法の基本権の適用によって共に保障されているという推定に及ぶ。形成のために開かれている個別法(Fachrecht)における基本権的多様性の仮定の例外または憲章の保護水準が共に保障されているとの推定の否定は、そのための具体的かつ十分な手がかりがある場合に限り考慮されなければならない。

2.  a) 個人についての記事および情報が公的コミュニケーションの一部として流布されることにより生じる危険からの保護についての憲法上の基準は、一般的人格権の言論法上の諸形成(den äußerungsrechtlichen Ausprägungen)にあり、情報自己決定権にはない。

b) 保護請求権についての判断に際しては、インターネットのコミュニケーションの条件の下で、時間がある特殊な重要性をもつ。法秩序は、ある人物が、過去の地位、発言および行為を無限に公衆にさらされなければならないことから保護する必要がある。過去の出来事が後退することが可能になることによってはじめて、個人には自由における新たな出発の機会が開かれる。自由の時間性には、忘却の可能性が含まれる。

c) 一般的人格権から、コミュニケーションの過程の枠内で交換された個人についてのあらゆる情報をインターネットから削除させる請求権は生じない。とりわけ、公衆がアクセス可能な情報を、自由な判断により、かつ自己の考えでフィルターにかけ、本人が重要であると評価する観点、または自己の人格像にとって適していると評価する観点に限定する権利はない。

d) その記事をあるオンライン・アーカイブに掲載した出版社と、その記事によって報道された本人の間の基本権の調整のためには、その出版社が、本人の保護のために、インターネット上の古い記事――とりわけ名前を用いた検索行為に際して検索サービスによる発見可能性――の解明および流布を、実際にどの程度まで阻止することができるかが考慮されなければならない。

3.      言論法上の保護の次元から、一般的人格権のひとつの独自の形成としての情報自己決定権は区別されなければならない。これも、私人間において意義を展開することができる。その際、その効果は、国家に対する直接的な効果とは異なる。その際に保障されるのは、どのような文脈でかつどのような方法で、自己のデータが他者からアクセス可能であり、他者によって利用されるかについて多種多様な方法で影響を及ぼす可能性であり、したがって自己の人格の描写について自分で実質的に共に決定する可能性である。

 

➣ 決定要旨(報告②)

1.      基本法の基本権がEU 法の適用優位によって排斥される場合には、連邦憲法裁判所は、ドイツの官署によるEU法の適用をEU法を基準としてコントロールする。これによって連邦憲法裁判所は、基本法231項による自らの統合責任を履行する。

2.      EU法上完全に統一された諸規制を適用する場合には、EU法の適用優位の原則により、基準となるのは原則としてEU法だけであって、基本法の基本権ではない。適用優位は、とりわけ、基本法の基本権に代わって適用されるEUの基本権が十分に実効的であることを条件とする。

3.      連邦憲法裁判所が、EUの基本権憲章を審査基準として用いる場合、連邦憲法裁判所は、欧州司法裁判所との密接な協力の下でコントロールを行う。EU機能条約2673項の基準に従い、連邦憲法裁判所は、欧州司法裁判所に照会する。

4.      基本法の基本権と同様に、基本権憲章の基本権も、国家と市民の関係においてのみならず、私法上の紛争においても保護を提供する。したがって基準となるEU個別法に基づいて、関係者らの基本権が相互に調整されなければならない。その場合に連邦憲法裁判所は、――基本法の基本権の場合と同様に、――当該個別法を審査するのではなく、各部門裁判所が憲章の基本権を十分に考慮に入れ、是認可能な調整を行ったかどうかだけを審査する。

5.      当事者らが、検索エンジン運営者に対し、ネット上の特定のコンテンツの検索結果表示およびリンクをしないように求めている限り、これによって必要になる衡量の中には、当事者の人格権(基本権憲章7条および8条)と並んで、検索エンジン運営者の企業の自由(基本権憲章16条)の枠内で、それぞれのコンテンツ提供者の基本権およびインターネット利用者の情報の利益も含めなければならない。

検索結果表示の禁止が、当該公表物の具体的なコンテンツに関連して発せられ、当該コンテンツ提供者がそれによって、禁止がなければ利用できたはずの自らを流布するための重要な媒体を奪われてしまう限りは、当該内容提供者の意見表明の自由が制約されている。

クリップボード@月報285号

 畑尻剛『ペーター・ヘーベルレの憲法論』(中央大学出版部、20211月)

毛利透『グラフィック憲法入門 第2版』(新世社、20212月)

Toru Mori, Wie unterscheiden sich Alexy und Kelsen? – Über die Bedeutung der Perspektivenwahl in der Rechtswissenschaft, in: Zeitschrift für öffentliches Recht, Bd.75 (2020), S.835-855

中西優美子編『EU法研究』9号(20211月)

自治研究971号(20211月)

中西優美子EU法における先決裁定手続に関する研究<41> QPC手続をめぐるフランス破棄院とEU司法裁判所間の対話((9))91-103

片桐直人「ドイツ憲法判例研究<236> 放送負担金判決」148-156

自治研究972号(20212月)

石塚壮太郎「ドイツ憲法判例研究<237> 求職者のための基礎保障における制裁とその比例的限界-社会法における制裁判決」151-159

池上彰=鈴木秀美=吉永みち子=荻上チキ「開かれた新聞委員会 離任に当たり、今月末交代 報道の魂、忘れず変革を」毎日新聞 2020 12 29 日(東京朝刊)13

鈴木秀美SNS法規制を考える-ドイツSNS対策法」部落解放800号(増刊号)『部落解放・人権入門2021』(20211月)110-119 

鈴木秀美「【論点直言】SNSと表現の自由 トランプ氏凍結」(聞き手:荒船清太)

産経新聞20210118日朝刊5

鈴木秀美「ドイツのSNS対策法 安易な模倣、過剰規制に」(聞き手:渋谷江里子)

日本経済新聞20210222日朝刊13

(電子版記事2021210⽇配信https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFP29A0C0Z20C21A1000000/)。

【判決和訳】自殺ほう助判決(連邦憲法裁判所2020年2月26日・第2法廷判決)

自殺ほう助判決(仮訳)

連邦憲法裁判所2020226日第二法廷判決

BVerfG, Urteil vom 26. Februar 2020 2 BvR 2347/15 , BVerfGE 153, 182-310

 訳:玉蟲由樹(日本大学)

注記:本仮訳は,202119日に開催されたドイツ憲法判例研究会での報告のために作成した抄訳であり,訳語の統一,訳文の正確性チェックなども未だ不十分であることをご了承ください(訳者)。

 

【要旨】

1.a) 一般的人格権(基本法11項と結びついた基本法21項)は,個人の自律の表現として自己決定にもとづく死の権利を含む。

 

b) 自己決定にもとづく死の権利は,自殺する自由を含む。QOLおよび自己の存在の意味づけに関する本人の理解に応じて個人が自らの生命を終わらせようと決めることは,出発点において自律的自己決定の行為として国家および社会によって尊重されるべきものである。

 

c) 自殺する自由は,第三者に助けを求め,それが提供される限りにおいて援助を要求する自由をも含む。

 

2. 間接的ないし事実上の効力をもつ国家の措置も基本権を侵害しうるものであり,それゆえに憲法によって十分に正当化されなければならない。刑法典2171項における業務上の自殺援助の刑罰を伴った禁止は,自殺志願者に対して,その者によって選択され,業務上提供された自殺ほう助を要求することを事実上不可能なものとしている。

 

3.a) 業務上の自殺援助の禁止は,厳格な比例原則を基準として審査されなければならない。

 

b) 要求可能性審査に際しては,人の助けを借りた自殺の規律がさまざまな憲法上の保護の視角間での緊張関係のなかにあるということが考慮されねばならない。自己責任のもとで自己の生命を終わらせることを決断し,そのために援助を求める者がもつ原則的な,自己の生命の終わりをも包括する自己決定権は,自殺志願者の自律と,ひいては生命という高次の法益を保護する国家の義務と対立する。

 

4. 憲法が自律と生命に承認する高次のランクづけは,原則として,刑法という手段を用いてでもそれらに対して実効的な予防的保護を行うことを正当化するにふさわしいものである。法秩序が自律を危険に晒すような自殺援助の形態を処罰することを定める場合には,法秩序は,かかる禁止にもかかわらず,個別ケースにおいて自由意思で提供される自殺ほう助へのアクセスが現実に可能となっていることを確保していなければならない。

 

5. 刑法2171項での業務上の自殺援助の禁止は,人の助けを借りて行われる自殺の可能性を,個人に対して現実にはその憲法上保護された自由の保障の余地をほとんど残さないような範囲に限定している。

 

6. 何人も,自殺援助をすることを義務づけられることはありえない。

 

【主文】 

 

1. 手続は併合されている。

 

2. 2015123日の業務上の自殺援助の可罰性に関する法律における刑法典217条は,異議申立人I.1.I.2.およびVI.5.について基本法11項と結びついた基本法21項から生じる基本権を,異議申立人II.およびIII.2.については基本法21項から生じる基本権を,異議申立人III.3.ないしIII.5.およびIV.2.については基本法21項の基本権および基本法1041項と結びついた基本法222文から生じる基本権を,そして異議申立人III.6.IV.V.1.ないしV.4.およびVI.3.については基本法121項の基本権および基本法1041項と結びついた基本法22項から生じる基本権を侵害している。本件規定は基本法に適合せず無効である。

 

3. 異議申立人VI.1.およびVI.4.の憲法異議は,当事者の死亡によって終結した。

 

4. 異議申立人III.1.の憲法異議は却下される。

 

5. 国は異議申立人III.1.を除く異議申立人らに憲法異議の費用を補償しなければならない。

 

【理由】

A.

I.

[1] 憲法異議は,2015123日の業務上の自殺援助の可罰性に関する法律における刑法典217条に直接向けられている。

 

[2] 異議申立人らは,その生命を業務上行われる第三者の援助によって自ら断とうとしている重病患者,そうした援助を行うドイツおよびスイスに拠点を置く団体,その代表者および従事者,外来・入院診療に従事する医師および自殺援助に関する相談および仲介・あっせんにかかわる弁護士である。

 

[3] 自殺援助を要求する異議申立人らは,一般的人格権(基本法11項と結びついた基本法21項)から死についての自己決定権を導き出している。この権利は,自律的な自己決定の現れとして自死に際しての第三者による援助の要求をも含むものであり,これが刑法典217条によって侵害されているという。業務上の自殺援助に対する処罰の結果,彼らは希望する自殺援助をもはや受けられなくなっているとされる。

 

[4] 異議申立をしている団体は,基本法121項,91項および21項の基本権に対する侵害を,団体で働く個人については追加的に良心の自由(基本法41項第2類型)の侵害を訴えている。当該団体によって行われる自殺援助は刑法典217条の構成要件に該当する。それゆえ,当該団体はもはや,刑事罰を科せられ,あるいは団体の場合,秩序違反法3011号による罰金刑や団体法3条による団体禁止の危険にさらされることなしに,この領域において活動することができないだろう。

 

[5] 異議申立をしている医師は,基本的に良心の自由および職業の自由(基本法41項第2類型および基本法121項)を根拠として憲法異議を行っている。

 

[6] 同様に,異議申立をしている弁護士は,自殺に関する相談および自殺援助の手段のあっせんがいまや刑罰に服するがゆえに,刑法典217条によって基本法121項の職業の自由が侵害されうることを主張している。

 

[7] すべての異議申立人は一致して問題となっている規定に明確性が欠けていることに異議を唱えている。刑法典217条は,個別ケースで行われる自殺援助が処罰されないままであることを十分に明確にしていない。同様に,刑法典217条がこれまで処罰されてこなかった自殺援助の形態(間接的自殺援助および治療の中止)や緩和的投薬を対象としているのか,どの程度対象としているのかは明らかにされていない。それゆえ,この処罰規定は,患者の福祉を目的とする医療上の職業遂行を阻んでいる。

 

II.

 

[8] 1. 刑法典217条は,2015123日の業務上の自殺援助の可罰性に関する法律により,20151210日の施行をもって導入された。

 

[9] a) 規定は以下の通りである。

業務上の自殺援助

⑴  他人の自殺を援助する目的で,業として自殺の機会を付与し,調達し,又はあっせんした者は,3年以下の自由刑又は罰金に処する。

⑵  自ら業として行為せず,かつ,第1項が規定する他人の親族又はその他人と密接な関係にある者は,共犯として処罰しない。

 

[10][15] (略)

 

[16] 2.  業務上の自殺援助の可罰性に関する法律により,ドイツにおける1871年の統一的刑法秩序の導入以来はじめて,自律的に行動しうる個人の自殺への関与が一部において刑罰のもとに置かれた。

 

[17][22] (略)

 

[23] 3. 現在の刑法秩序は,自殺を処罰していない。それゆえ,自律的な自殺への行為主導的ではない関与としての自殺ほう助も原則として刑罰を科されない。自殺援助は,このように解される自殺ほう助とは区別されている。自殺援助の概念は,自殺ほう助との区別において,生命断絶の原因となる,あるいはこれをその他の方法で促進する,外部の第三者によってコントロールされた行為という点では共通する,多数の異なった事実関係を含んでいる。くわえて,自殺ほう助は,その定義からすでに苦しんでいる状態を前提としている。「ほう助」という語の構成要素は,概念規定上,当人の明示的あるいは推定的な意思に反して行われるような(殺害)行為を排除している。判例は処罰されない自殺ほう助のさまざまな事案グループを区別している。そこには,一方で,死期の近い,あるいは不治の病に冒された人に薬物あるいはその他の方法での苦痛緩和療法が行われた結果,それと引き換えにより早い段階での予期せぬ死が訪れるという意味での間接的自殺ほう助と,他方で,現実のあるいは推定上の患者意思にもとづいて生命維持治療の積極的あるいは消極的な制限ないし中止がおこなわれるという,いわゆる治療中止とが含まれている。これらの事案グループとは異なり,要求にもとづく殺害という意味での承諾他殺は刑法典216条により処罰されうる。

 

[24] 刑法典217条は,処罰されない行為様態と処罰されうる行為様態との区別を,死の願望との関連において,さらに区分することになる。この規定は,自殺とそれへの関与の原理的な不可罰性を疑問視しないが,業務として自殺への援助を提供することが自己決定や生命を危険にさらす場合に,匡正的に介入することを目的としている。

 

[25] 本規定は,刑法典27条にいう業務上従犯行為,すなわち具体的な,少なくとも実行段階に入っている自殺への故意によるほう助を処罰することに限定されるものではなく,抽象的危険犯としての計画にもかかわる。業務として生命を抽象的に危険にさらす行為である自殺のための方策を与え,世話をし,あるいはあっせんすることが処罰されることとなる。

 

 [26][180] (略)

 

B.

I.

[181] 1. 憲法異議申立人VI.1.は,2019412日に死亡した。この者の憲法異議は,このことによって終結した(vgl. BVerfGE 6, 389 <442 f.>; 12, 311 <315>; 109, 279 <304>)。憲法異議申立人の不在にもかかわらず手続を継続する理由,とりわけすでに具体化された回復利益(vgl. dazu BVerfGE 37, 201 <206>)は存在しておらず,刑法典217条の規範がその他の憲法異議によって許容される手段で憲法裁判所の審査に付されていることからすればなおさらである(siehe dazu Rn. 192 ff.)

 

[182] それゆえ,手続が異議申立人の死亡によって終結したということが宣告されうるにとどまる(vgl. BVerfGE 109, 279 <304>)

 

[183] 2. 同様のことが,この間に同じく死亡した憲法異議申立人VI.4.の憲法異議にも妥当する。

 

II.

[184] スイスの自殺援助団体である憲法異議申立人III.1.の憲法異議は許容されない。憲法異議申立人は,刑法典217条によって基本権あるいは基本権と同様の権利が侵害されていることを主張できない。この団体は,スイスに拠点をもつ法人として実体的基本権を主張する限りにおいて,基本権資格に欠けており訴訟提起権限がない(1)。また,この団体は業務上の自殺援助の禁止に特定性が欠けていることによって損害を被ったことを説明していない(2)。

 

[185] 1. 憲法異議申立人III.1.は,スイスに拠点をもつ団体であり,基本法193項によっては実体的基本権を主張できない。

 

[186] a) 基本法193項によれば,基本権は,その性質上適用できる限りにおいて,内国法人にのみ効力を有する。これに対して,外国法人は基本法10112文および基本法1031項の手続基本権のみを主張できるにとどまり(vgl. BVerfGE 3, 359 <363>; 12, 6 <8>; 18, 441 <447>; 19, 52 <55 f.>; 21, 362 <373>; 64, 1 <11>),実体的基本権を主張することや,その侵害を当然に憲法異議によって争うことはできない(so bereits BVerfGE 21, 207 <209>; 23, 229 <236>; 100, 313 <364>; 129, 78 <91, 96 f.>)EUに本拠を置く外国法人は例外である。EU法の適用範囲においては,十分な内国との関係性をもち,内国法人と同程度の基本権の妥当が当然であるような場合には,基本権主体性が外国法人に拡張されうる(vgl. BVerfGE 129, 78 <97 ff.>)

 

[187][189] (略)

 

[190] 2. 外国法人に基本権享有主体性が欠けていることが基本法1032項の保障にも影響するかどうかは未確定としうる。憲法異議申立人は,この点について固有の当事者性を証明しなかった。この団体は特定性の欠如をもっぱら,業務の構成要件が個別ケースにおいて同情から自殺ほう助を行う療養施設の従業員の可罰性を十分に明確に排除していないということに根拠づけている。このことからは,団体として自殺ほう助の提供を準備しようとする憲法異議申立人の固有の当事者性は帰結されない。

 

[191]  抽象的危険犯としての刑法典217条は立法者によって意図された保護目的を実現するのに適切なものでも,それ自体処罰されない行為の単なる反復は可罰性を根拠づけうるものでもないという主張も,単に合法性要請,特定性原則および遡及効を含むにすぎない基本法1032項違反を裏付けられるものではない。この主張は,本件では問題となっている規範の比例性原則を基準とした審査を目指すものである。

 

III.

[192] その他の憲法異議は許容される。

 

[193][199] (略)

 

C.

[200] 憲法異議は,許容されている限りにおいて,理由もある。

 

[201] 刑法典217条は,憲法異議申立人I.1.I.2.およびVI.5.について,基本法11項と結びついた基本法21項にもとづく一般的人格権から導き出される自律的な死に関する権利を侵害している(I.)。その他の憲法異議申立人は,その者らが職業活動の枠内において自殺ほう助を行おうとしており,かつドイツ国籍を有している限りにおいて,業務上の自殺援助の禁止によって自己の職業の自由の基本権(基本法121項)を侵害されており,また一般的行為自由(基本法21項)を侵害されている。くわえて刑法典217条の刑罰による威嚇は,憲法異議申立人III.3.ないしIII.6.IV.V.1.ないしV.4ならびにVI.2.およびVI.3.について,基本法1041項と結びついた基本法222文から生じる自由権を侵害している。憲法異議申立人II.およびIII.2.は業務上の自殺援助に対する処罰と結びつけられた秩序違反法3011号の罰金刑によって基本法21項から生じる基本権を侵害されている(II.)。憲法適合的解釈は刑法典217条の規律については不可能である(III.)。それゆえ,当該規定は基本法と一致せず,無効である(IV.)。

 

I.

[202] 刑法典217条に規定された業務上の自殺援助の禁止は,自律的な死に関する権利として形作られた自殺の決意を固めた人の一般的人格権(基本法11項と結びついた基本法21項)を侵害する。このことは,たとえこの規定が狭い解釈においてはもっぱら自己の生命を自ら断つ行為としての自殺への反復意図をもって行われる援助を対象としているとしても妥当する。

 

[203] 基本法11項と結びついた基本法21項は,自己の生命を自ら意識的かつ望んで断ち,自殺の実行にあたって第三者の助力を求めることを自己決定により決定する権利を保障している(1.)。刑法典217条はこの権利を侵害している(2.)。基本権介入は正当化されない(3.)。自殺の権利の承認および本件で示されたその制約可能性についての限界は,欧州人権条約とも一致する(4.)。

 

[204] 1. 自由に自己決定ができ,自ら責任を引き受けることのできる人間の自殺をする権利は,一般的人格権(基本法11項と結びついた基本法21項)の保障内容に含まれている。

 

[205] a) 人間の尊厳の尊重と保護および自由は,人間が自己決定ができ,自ら責任を引き受けることのできる人格として理解される憲法秩序の基本原理である(vgl. BVerfGE 5, 85 <204>; 45, 187<227>)。一般的人格権は「無名の」自由権として,基本法の特別な自由保障の対象とはなっていない人格要素を保護しているが,人格にとっての構成的な意義において明文での保障にひけをとらない(stRspr, vgl. BVerfGE 99, 185 <193>; 101, 361 <380>; 106, 28<39>; 118, 168 <183>; 120, 274 <303>; 147, 1 <19 Rn. 38>)

 

[206] 一般的人格権と基本法11項との特別な関連は,その保護内容に表れている:一般的人格権の-範囲が完全には限定されていない―保護領域の内容および射程の決定に際しては,人間の尊厳が不可侵であり,あらゆる国家権力に対して尊重および保護が要求されているということが考慮されなければならない(vgl. BVerfGE 27, 344 <351>; 34,238 <245>)。人間は自由のなかで自己決定をし,発展するという考え(vgl. BVerfGE 45, 187 <227>; 117, 71 <89>; 123, 267 <413>)から出発すれば,人間の尊厳の保障はとりわけ人の個人性,アイデンティおよびインテグリティの保障を含んでいる(vgl. BVerfGE 144, 20 <207 Rn. 539>)。人間を国家行為の「単なる客体」とし,あるいはその主体性が原理的に疑問視されるような取扱いにさらすことが禁じられる(vgl. BVerfGE 27, 1 <6>; 45, 187<228>; 109, 133 <149 f.>; 117, 71 <89>; 144, 20 <207 Rn. 539 f.>)という社会的な価値要請・尊重要請はこれらと結びついている。個人としての人間の失われることのない尊厳は,このことからすれば,個人は常に自律的な人格として承認され続けるという点にある(vgl. BVerfGE 45, 187 <228>; 109, 133<171>)

 

[207] この人間の尊厳に根ざした自律的自己決定という思考は,一般的人格権の保障内容により詳細に具体化される(vgl. BVerfGE 54, 148 <155>; 65, 1 <41, 42 f.>; 80, 367 <373>; 103, 21 <32f.>; 128, 109 <124>; 142, 313 <339 Rn. 74>)。一般的人格権は,個々人がそのアイデンティティや個人性を自己決定的に見出し,展開し,維持できるための基本条件を保護している(vgl. BVerfGE 35, 202 <220>; 79, 256 <268>; 90, 263 <270>; 104, 373 <385>; 115, 1 <14>; 116, 243 <262 f.>; 117, 202 <225>; 147, 1 <19 Rn. 38>)。つまり,固有の人格の自己決定にもとづく維持は,人が自分自身を自分なりの尺度にもとづいて自由に処分することができ,固有の自己イメージや自己理解と決定的に対立する生のかたちを押しつけられないということを前提とする(vgl. BVerfGE 116, 243 <264 f.>; 121, 175 <190 f.>; 128, 109 <124, 127>)

 

[208] b) 以上のことからすれば,一般的人格権は,人格的自律の表れとして,自殺の権利を含む,自己決定にもとづく死を求める権利をも含んでいる(aa)。基本権の保護は,このために第三者に援助を求め,援助が提供される限りにおいて,それを要求する自由へも拡大する(bb)

 

[209] aa)(1) 自らの命を断つという決断は,人の人格にとって本質的な意義をもつ。それは本人の自己理解の表出であり,自己決定ができ,自ら責任をとることのできる人格の基本的な表現である。個々人がその生にいかなる意味を見出すのか,そして個人が自らの命を断つことを考えるのか,いかなる理由から考えるのかは,きわめて人格的な観念および信条によって決まる。この決断は人間存在の基本問題にかかわるものであり,人のアイデンティティや個人性に触れる点において他に並ぶものがない。それゆえ,自己決定にもとづく死を求める権利として具体化される一般的人格権は,単に自由意思にもとづいて生命維持の措置を中断し,この方法によって致死性の病状の進行を成り行きに任せる権利のみを含むのではない(vgl. im Ergebnis auch BVerfGE 142, 313 <341 Rn. 79>; BGHSt 11, 111 <113 f.>; 40, 257 <260, 262>; 55, 191 <196 f. Rn. 18, 203 f. Rn. 31 ff.>; BGHZ 163, 195 <197 f.>)。自己決定にもとづく死を求める権利は,自らの生命を自らの手で断つという個人の決定にもわたるものである。自殺する権利は,個々人が固有の自己イメージに応じて自律的に自己決定を行い,このことによって自己の人格を維持しうることを保障する(vgl. Bethge, in: Isensee/Kirchhof, HStR IX, 3. Aufl. 2011, § 203 Rn. 41, 44; Dreier, in: Dreier, GG, Bd. 1, 3. Aufl. 2013, Art. 1 Abs. 1 Rn. 154; Geddert-Steinacher, Menschenwürde als Verfassungsbegriff, 1990, S. 90 f.; Herdegen, in: Maunz/Dürig, GG, Art. 1 Abs. 1 Rn. 89 <Mai 2009>; Hufen, NJW 2018, S. 1524 <1525>; a.A. Lorenz, in: Bonner Kommentar zum Grundgesetz, Art. 2 Abs. 1 Rn. 54, 303 <April 2008> sowie Art. 2 Abs. 2 Satz 1 Rn. 420 <Juni 2012>; Starck, in: v. Mangoldt/Klein/Starck, GG, Bd. 1, 7. Aufl. 2018, Art. 2 Abs. 2 Rn. 192)

 

[210] (2) 自己決定にもとづく死を求める権利は,人格的自由の表現として外部的に定義された状況には限定されない。とりわけ,個人の自己決定の核心領域にかかわる自己の生命に関する処分権は,重篤ないし不治の病状であるとか,あるいは特定の人生の時期や病気のステージに限定されるようなものではない。特定の原因や動機に保護領域を限定することは,自殺を決意した者の動機を評価することおよび,基本法の自由についての考えと対立する内容的な予断を引き起こすだろう。こうした限界づけが実務においては重大な確定の難しさに直面するだろうということを度外視しても,それは人間の尊厳および自己決定と自己責任のなかでの自由な発展という基本法が決定した理念との対立を生じるであろう(vgl. BVerfGE 80, 138 <154> für die allgemeine Handlungsfreiheit)。自己決定にもとづく死を求める権利が基本法11項の人間の尊厳に根ざすものであることは,まさに自らの生命の終わりに関する自律的な決定がそれ以外の根拠づけや正当化を必要としないことを示している。基本法11項は,人間の尊厳を保護し,人がどのように自己の個性を理解し,意識するかを保護している(vgl. BVerfGE 49, 286 <298>; 115, 1 <14>)。重要なのは,一般的な価値観念,宗教上の戒律,生と死をめぐる社会の模範,あるいは客観的な理性の熟慮による評価から免れた基本権主体の意思である(vgl. BVerfGE 128, 282 <308>; 142, 313 <339 Rn. 74> für Heileingriffe)。自己の生命の終わりに関する自己決定は,人間の「人格の最も根源的な領域」に属するものであり,かかる領域において人は自らの尺度を選択し,それにもとづいて決定することについて自由である(vgl. BVerfGE 52, 131 <175> abw. Meinung Hirsch, Niebler und Steinberger für ärztliche Heileingriffe)。この権利は人間存在のあらゆる段階に存在する。QOLや自己存在の意味づけについての自分なりの理解にもとづいて自らの生命に終わりをもたらそうとする個人の決定は,自律的な自己決定行為としての出発点において国家や社会から尊重されるべきものである。

 

[211] (3) 自殺する権利は,自殺が生命を手放し,同時に自己決定や主体的な地位の前提をも手放してしまうがゆえに尊厳を放棄するものであるという理由によっては否定されえない(vgl. aus ethischmoralischer Sicht aber Böckenförde, in: Stimmen der Zeit 2008, S. 245 <256>; ähnlich Niestroj, Die rechtliche Bewertung der Selbsttötung und die Strafbarkeit der Suizidbeteiligung, 1983, S. 75; Lorenz, in: Isensee/Kirchhof, HStR VI, 2. Aufl. 2001, § 128 Rn. 62; ders., JZ 2009, S. 57 <60>; a.A. etwa Antoine, Aktive Sterbehilfe in der Grundrechtsordnung, 2004, S. 236) 。たしかに生命は人間の尊厳の物質的基礎である (vgl. BVerfGE 39, 1 <41 f.>; 88, 203 <252>; 115, 118 <152>)しかしこのことから自由意思にもとづく自殺は基本法11項で保障された人間の尊厳に意義を唱えることになるだろうという推論が行われることはない。個人に自律的な生を保障する人間の尊厳は,自由に自己決定することができ,かつ自ら責任を引き受けることのできる人間が自ら死を選ぶという決定をすることと矛盾しない。むしろ,自らの生命に関する自己決定にもとづく処分は,人間の尊厳に内在する自律的な人格発展という理念の直接的な表現であり,究極的なものではあるものの,尊厳の表れなのである。自由意思で自殺する者は,主体的に死を選んでいる(vgl. BVerfGE 115, 118 <160 f.>)。自殺者は,個人として自己決定的に,かつ自分なりの目的設定にもとづいて生きることを断念している。つまるところ,人間の尊厳は個人の自己決定の限界ではなく,その根拠である。人は,自分の存在に関して自分なりの,自ら設定した尺度にもとづいて決定できるときにのみ,自律的な人格,すなわち主体として承認され,価値要求,尊重要求を感じていられる(vgl. Dreier, in: Dreier, GG, Bd. 1, 3. Aufl. 2013, Art. 1 Abs. 1 Rn. 154; Geddert-Steinacher, Menschenwürde als Verfassungsbegriff, 1990, S. 86 ff.; Nettesheim, AöR 130 <2005>, S. 71 <105 f.>)

 

[212] bb) 基本法11項と結びついた21項によって保護された自殺する権利は,自殺に際して第三者の援助を求め,それが提供される限りにおいて援助を要求する自由をも含んでいる。

 

[213] 基本法は,それぞれ自由に行動する第三者との交流のなかでの人格の発展を保障している。それゆえ,基本権によって保護される自由には,第三者に接近し,その者に支援を求め,その者の自由の範囲内において提供される援助を受ける可能性も含まれている。このことは,とりわけ自己の生命を自らの手で断とうと考えている者についてもあてはまる。まさに自殺を考える者はしばしば,専門知識があり協力する意思のある第三者,とりわけ医師の専門的な援助を通じてはじめて,自殺を決意し,場合によっては自殺の決意をふさわしい方法で実行することができると考える。基本権の実現が第三者の関与に依存し,自由な人格発展がこのようなかたちで他者の協力を必要とするものであるならば(vgl. Suhr, Entfaltung der Menschen durch die Menschen, 1976, S. 80 f., 84, 88 ff.),基本権は,自由の範囲内において援助を提供する第三者に対する禁止によって基本権が限界づけられることからも保護を行う。

 

[214] 2. 刑法典217条は,憲法異議申立人I.1.I.2.およびVI.5.の一般的人格権を,たとえその者らが刑法典217条の直接的な名宛人でないとしても,侵害している(a)。規範の効力は,他の目的に仕える法律の単なる反射に尽きるものではない(b)

 

[215] a) 基本権の保護は,直接に向けられた介入に限定されるものではない。〔基本権に対して〕間接的に,または事実上の効果を生じる国家の措置もまた,基本権を侵害しうるし,それゆえに憲法によって十分に正当化されなければならない。それらは目的設定および効果において規範的ないし直接的な介入と同視できるものであり,そうであるならば,それらと同じように取り扱われなければならない(vgl. BVerfGE 105, 252 <273>; 110, 177 <191>)

 

[216] 刑法典2171項での業務上の自殺援助の刑罰を伴った禁止は,憲法異議申立人らに,その者らが選んだ業務として提供される自殺ほう助を求めることを事実上不可能にする。なぜなら,これに応じて援助を行う者が刑法典217条の施行後は刑法上ないし秩序法上の帰結を回避するためにその活動を中止したからである。同意による正当化は,個人の保護を越える法益保護を目的とする抽象的危険犯としての構成要件の形成を理由として考慮されないことになるため,この禁止は,憲法異議申立人I.1I,2,ならびにVI.5.に妥当するのと同様に,自己決定により,外部からの圧力なしに,かつ熟慮の上で自殺を決意したあらゆる者の負担としても作用する。

 

[217] b) これらの侵害は,他の目的に仕える法律の結果として,単に反射的に生じるものではない(vgl. BVerfGE 116, 202 <222 f.>)。それらは法律の目的の向かう先にむしろ意識的に含まれており,それゆえその目的設定や間接的・事実的な効果において自殺を願う個人に対しても介入を根拠づける(vgl. BVerfGE 148, 40 <51 Rn. 28> m.w.N.)。立法者意思によれば,業務上の自殺ほう助を禁止することで,この種の行為の提供が自殺志願者にもはや利用できなくなるため,自己決定や生命の基本権の効果的な保護が実現されることになる(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2 f.)

 

[218] このとき,刑法典217条から生じる間接的な介入は,自殺の自由を客観的に制限する効果をもつ。業として行動する第三者の助けを借りて自らの命を自己決定によって終わらせたいと考える個人は,苦しむことなく確実に自殺することを期待できる方法を利用することが事実上できないという重大なリスクを抱えて,他の方法を選ぶことを強いられる(vgl. hierzu noch Rn. 280 ff.)。自らの生に関する自己決定が個人のアイデンティティ,個性およびインテグリティにとってもつ本質的な意義や,基本権の行使がかかる規範によっていずれにせよきわめて困難となっている状況に鑑みれば,憲法異議申立人の一般的人格権への介入もまたとりわけ重大である。

 

[219] 3. 一般的人格権に対する介入は正当化されない。

 

[220] 一般的人格権の制限は憲法適合的な法律上の根拠を必要とする(a)。刑法典217条で定められた業務上の自殺援助の禁止は,比例原則に照らして審査されるべきものである(b)。比例原則から導かれる要請を刑法典217条は満たしていない(c)

 

[221] a) 一般的人格権は,公権力による働きかけから完全に免れているわけではない。個人は,国家の措置が優越する公共の利益または基本権で保護された第三者の利益のために比例原則の厳格な遵守の下で講じられている場合には,かかる措置を甘受しなければならない(vgl. BVerfGE 120, 224 <239> m.w.N.)。比例性の観点の下では,一般的人格権については,一般的行為自由としての基本法21項の保護との比較において,より高められた正当化要求が存在する。これらの要求は,基本法11項にもとづく人間の尊厳の保障と特別な関係を示す保障内容が問題となっているときには,とくに高いものとなる。このとき,個人が最も狭い私的領域のなかで行動していればいるほど,保障はとりわけ強く,外部への社会的なコンタクトが増えるにつれて弱まっていく(vgl. Di Fabio, in: Maunz/Dürig, GG, Art. 2 Abs. 1 Rn. 157 ff. <Juli 2001>)

 

[222] 自らの命を第三者の助けを借りて終わらせるという自己責任のもとで行われた決定は,最も狭い私的領域に限定され続けるものではない。それは確かにきわめて人格的な性格を帯びる。しかし,それは他者の行為との相互作用のなかにある(vgl. Suhr, Entfaltung der Menschen durch die Menschen, 1976, S. 80)。自殺の決意を実行に移すに際して,業務上行われる第三者の助けを求めたいと考え,そうした援助を依頼する者は,社会と関係をもっている。それゆえ,業務上の自殺ほう助の提供は自由な決意から行動する自殺志願者と自殺ほう助者との関係だけにかかわるものではない。その者らからは,第三者の自律的自己決定にとっての重大な濫用の危険や危殆化を含む事前・事後の影響が生じる。

 

[223] b)  業務上の自殺援助の禁止は,厳格な比例性を基準として審査されるべきものである(vgl. BVerfGE 22, 180 <219>; 58, 208 <224 ff.>; 59, 275 <278>; 60, 123 <132>)。基本権を制約する法律は,法律がそこで追求される正当な目的を達成する上で適合的かつ必要なものであり,かつそれぞれの基本権上の自由領域の制限が目的の達成と適切な比例関係にある場合にのみこの原則を満たす(vgl. BVerfGE 30, 292 <316>; 67, 157 <173>; 76, 1 <51>)。要求可能性審査に際しては,他者の手を借りた自殺の規律が様々な憲法上の保護の観点間での緊張関係のなかにあることが考慮されなければならない。自己の責任において自ら命を断つという決定をし,このために援助を求める者がもつ原則的な,自己の生命の終わりにもかかわる自己決定権への尊重(vgl. Rn. 208 ff.)は,自殺志願者の自律とさらには生命という高次の法益をも保護するという国家の義務と衝突する。自律と生命は影響や強制から免れていなければならず,このことは自殺ほう助の提供に対して国家の保護義務を正当化できる状況に置く。

 

[224] かかる緊張関係を解消することは,原則として立法者の任務である。国家の保護義務は形成と具体化を必要とする (vgl. BVerfGE 88, 203 <254>)。このとき,立法者は判断余地,評価余地および形成余地をもつ(vgl. BVerfGE 96, 56 <64>; 121, 317 <356>; 133, 59 <76 Rn. 45>)。余地の範囲はさまざまな要因に左右され,とりわけ問題となっている事項領域の特性,―規範の将来的な展開および影響についても―十分に明確な判決を形成しうる可能性,そして関係する法益の意義によって左右されるものである(vgl. BVerfGE 50, 290 <332 f.>; 76, 1 <51 f.>; 77, 170 <214 f.>; 88, 203 <262>; 150, 1 <89 Rn. 173>)

 

[225] 憲法上の審査は,立法者が上述の諸要因を十分に考慮したかどうか,その判断余地を是認できる方法で行使したかどうかに及ぶ(vgl. BVerfGE 88, 203 <262>)。立法者は基本権の自由の次元と保護の次元との間での衝突を適切に考慮しなければならない。

 

[226] c) 刑法典217条で定められた業務上の自殺援助の禁止は,これらの要請を満たしていない。この規律はたしかに正当な公共の福祉目的に資するものであり(aa),目的を達成する上で適切なものでもある(bb)。しかし,かかる禁止は必要性が完全には判定されず(cc),いずれにせよ相当ではない(dd)

 

[227] aa) 立法者は業務上の自殺援助の禁止によって正当な目的を追求している。かかる規律は,個人の生命に関する自己決定を保護し,これによって生命そのものを保護することに資する(1)。このような規律目的は,憲法に先行して存在するものである。それは憲法によって立法者に課せられた保護委託のなかで行われる(2)。業務上の自殺ほう助の提供を規律しないことがまさに自己決定および生命に対する危険を生じうるという立法者の推定は,十分支持しうる根拠にもとづいている(3)

 

[228] (1) 立法者は,自己決定および生命の基本権を保護するために,刑法典217条での禁止によって業務上の自殺ほう助の提供行為を阻止しようとしている(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2 f.)

 

[229] 立法目的は,一方で,自殺ほう助が,人々を自殺へと駆り立てかねない「保健上のケアのサービス提供」の一つへと発展するのを阻止することである(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2)。ドイツおよびスイスでの援助自殺の増加を根拠とした立法者の評価によれば(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 9),業務上の自殺援助の提供と,その「普通のこととしての見せかけ」やさらには自殺の社会的必要性の普及によって,またこうした提供を擁護しさえすることで,ある種の期待圧力が作り出される危険が存在する。援助自殺の「社会的通常化」が引き起こされるおそれがあるというのである(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2)。とりわけ,高齢者や病人は,こうした普通のことであるかのように装った自殺の提供にそそのかされやすく,直接,間接に自殺するよう急き立てられやすい(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2, 8, 11, 13, 17)

 

[230] 他方で,立法者はかかる禁止によって,インテグリティおよび自律の保護に有利なかたちで 「自律を危険に晒す利害対立」に対処しようとしており (vgl. BTDrucks 18/5373, S. 17),このような利害対立において一般的に生じうる「自己決定による判断が難しい状況での他律的な影響」という危険を予防しようとしている(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 11)。業務上の自殺援助の禁止は,自殺の技術的な実行に集約される苦労は確実な自殺の決意にもとづくものではないとの推定に依拠している(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 11)。特別に,典型的には自殺の実行に向けられた固有の利益を追求する,業として活動する自殺ほう助者の参入によって,自由な意思形成や決断,さらには個人の自己責任が潜在的に影響されうる(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 11, 12, 17, 18)。立法者の見解によれば,これには自律保護的な規律をもって対処すべきである(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 11)

 

[231] (2) 自律保護および生命保護という目的からすれば,刑法典217条の禁止は憲法に根拠づけられた国家の保護義務の実現に資するものであり,それゆえに正当な目的に資する。

 

[232] (a) 基本法221文と結びついた基本法112文は,生命の終わりに関する決定に際して個人の自律を保護し,ひいては生命そのものを保護することを国家に義務づけている。基本法によって要請された個人の自律的自己決定への尊重 (vgl. BVerfGE 142, 313 <344 Rn. 86>)は,自由に形成され,かつ自律的な決定を前提とする。自殺の決意を実行することによる不可逆性に鑑みれば,基本法秩序のなかでの最上級の価値としての生命の意義は自由な自己決定および自己責任によらずに行われる自殺に反対するよう命じる。国家は,助けを借りて自殺するという決意が実際には自由意思にもとづいているということに配慮しなければならない。したがって,立法者は,自己の生命に関する自律的な自己決定の前提たる自由な意思形成や意思の自由に対する危険に立ち向かおうとする場合,正当な目的を追求している。

 

[233] (b) この保護義務を履行するにあたって,立法者は,単に第三者による個人の自律を具体的に脅かす危険を阻止する権限を与えられるだけにとどまらない。立法者は,人の助けを借りた自殺が社会のなかで生命の終わりの普通のかたちだと認められることを阻止しようとする限りで正当な利益を追求している。

 

[234] もとより価値観念や道徳観念に関して事実上存在する,あるいは推定的なコンセンサスの維持は刑法の機能の直接的な目的ではあり得ない(vgl. BVerfGE 120, 224 <264>, abw. Meinung Hassemer)。それゆえ,自殺やほう助は,たとえそれがとりわけ老齢期に入り,病魔に犯された自分自身の生命にかかわる事柄であっても,社会の多数意見と対立するということのみを理由として自殺ほう助を禁じるのは正当な立法目的ではない。したがって,人の助けを借りた自殺の数を少なく抑えるという目的から業務上の自殺ほう助を禁止することは,第三者の支援のもとに意識的にかつ望んで自殺するという自律的な意思にもとづいて行動する基本権主体の決定をそれ自体拒否し,タブー化し,あるいは辱めるようなすべての目的設定と同様に認められないものである。

 

[235] しかし,立法者は,たとえば社会の役に立つかどうかを考慮した特定の条件づけのもとで自ら命を断つことを余儀なくさせられるような社会的圧力が生じる動きに対抗することができる。個人は−第三者による具体的な影響力の行使がなくとも−社会の期待という危険に晒されてはならない。たしかに,意思の自由は,個人がその決定に際して外部的な影響から完全に自由であるということと同義ではありえない。人の決定は通常社会的,文化的要因によって影響を受ける。自己決定は常に相関的に行われるものである。しかし,生命保護は憲法によって個人に対して正当化を必要としない自己目的として承認されており,ありのままの存在として個人を無条件に承認することに根拠を置くものであるがゆえに,立法者は,圧力として作用する可能性があり,自殺の提案の拒絶が第三者によって正当化されなければならないように思わせる社会的な影響に実効的に対抗しなければならない。このため,立法者は,個人が過酷な生活状況において,このような提案と密接なかかわりをもち,あるいはこれについて明確に行動しなければならない状態に追い込まれないという予防措置を講じうる。

 

[236] (3) 業務上の自殺ほう助の提供が自己の生命の終わりに関して決断を下すにあたっての自己決定にとって危険をはらみ,これに対しては国家の保護義務の履行のために対抗することが必要となるという立法者の推定は,憲法上異議を唱えられるべきではない根拠を有している。

 

[237] (a) 個人や社会全体を脅かす危険の評価や予測は,憲法上,それらが十分に明確な理由をもつかどうかという点において審査されなければならない(vgl. BVerfGE 123, 186 <241>)。このとき,問題となっている事項領域の特性,危険にさらされている法益の重要性,および立法者が十分に確実な判断をなしうるという可能性に応じて,憲法裁判所の審査は,単なる明白性審査から,主張可能性審査を経て,厳格な内容審査へと及ぶ(vgl. BVerfGE 50, 290 <332 f.> m.w.N.; 123, 186 <241>; 150, 1 <89 Rn. 173>)

 

[238] 本件のように,高いランクをもつ基本権への重大な介入が問題となっている場合,事実評価における不明確性は,原則として基本権主体の不利益となってはならない(vgl. BVerfGE 45, 187 <238>)。しかし,刑法典217条における禁止がその履行に資する国家の保護義務もまた重要かつ同じランクづけをもった憲法上の法益と関係している。業務上の自殺ほう助の提供によって現実に危険が生じる範囲は,-「人の助けを借りた自殺」という現象領域全体と同様に―口頭弁論での有識者の一致した説明によればいまだほとんど究明されていない。業務上の自殺ほう助を許容することの長期的影響に関する学問的に明らかな知見は存在していない。こうした事実状況においては,立法者が入手可能な情報や現在認識可能な事柄の客観的で是認しうる評価に沿って行動していればそれで十分である(vgl. BVerfGE 50, 290 <333 f.>; 57, 139 <160>; 65, 1 <55>)

 

[239] (b) 以上によれば,立法者の危険予測は憲法上の審査に耐えるものである。立法者は,業務上の自殺ほう助によって引き起こされる自己の生命に関する自律的自己決定にとっての危険を是認可能なかたちで推定した。

 

[240] (aa) 自殺の決意は,個人が現実に即した,固有の自己イメージへと向けられたメリット・デメリットの衡量決定を下している場合,自律にもとづいて形成された自由な意思にもとづくものである。

 

[241][247] (略)

 

[248] (cc) 以上の前提からすれば,自律とひいては生命は法律上制限のない業として行われる自殺ほう助によって危険に晒されるという立法者の推定は,十分に支持しうる理由にもとづいている(α)。同様のことが,業として行われる自殺ほう助が高齢者や病人にとっての生命の終わりの通常の形態とされ,自律を危険に晒す社会的な圧力を引き起こしかねないという評価にも妥当する(β)

 

[249][259] (略)

 

[260] bb) 刑法典217条の規律は,危険をはらんだ行為態様の処罰をともなう禁止が追求された法益を少なくとも促進しうるがゆえに,刑法規範として原則的に法益保護の適切な手段である(vgl. BVerfGE 90, 145 <172>; allgemein zum Kriterium der Geeignetheit BVerfGE 30, 292 <316>; 33, 171 <187>)

 

[261] かかる適合性は,とりわけ親族がほう助者であるケースで,不可罰のまま放置されている非業務的な自殺ほう助が,個々の憲法異議申立人の見解によれば,外部者による業務上の自殺ほう助と少なくとも同程度に個人の自己決定に対して大きな危険を内包しているということによって疑問に付されるものではない。多くの危険要因のうち特定のものについてのみ対応するという立法者の判断は,法益保護の不足を招くかもしれない。しかし,保護が行われている限りにおいて,その適合性はこれによっては疑問視されない(vgl. BVerfG, Beschluss der 1. Kammer des Ersten Senats vom 11. August 1999 - 1 BvR 2181/98 u.a. -, Rn. 73)

 

[262] 業務上の自殺援助の禁止は,この禁止ができるだけ個別ケースにおいて刑法典2172項で関与者として処罰されないこととされている個人を巻き込むことで自殺ほう助の限度を越えた組織化が行われることを通じては回避されないようにしているということからも,追求される目的を達成するに不適合なものではない。業務上の自殺ほう助が個別ケースにおいて特定の条件づけの下で不可罰となる可能性は,潜在的に自殺意思をもつ個人の生命や自律を保護する刑法典217条の一般的適合性を奪うものではない(vgl. auch BVerfGE 96, 10 <23>)。他国において業務上行動する自殺ほう助者の不可罰性は,立法者の規律高権が限定されていることの結果である。刑法典2172項にいう親族およびその他これに類する個人が外国で組織された業務上の自殺ほう助の関与者である場合に処罰されないということは,立法者の意識的な決定に起因している。

 

[263] cc) 刑法典217条の規律が立法者の正当な保護利益を実現するために必要なものであるかどうかは,立法手続においても考慮された(vgl. dazu Rn. 10 ff. sowie BTDrucks 18/5373, S. 13 f.)ような,他の選びうる,より制限的でない保護措置の実効性には経験的な所見が不足していることに鑑みれば,疑いの目が向けられうる。しかし,このことは本件では未解決としうる。

 

[264] dd) いずれにせよ,この規定によって生じる,一般的人格権から導かれる自己決定にもとづく死を求める権利の制約は,相当性がない。個人の自由の制限は,個人にとっての不利益の程度が社会全体に生じるメリットと合理的な関係にとどまる場合にのみ相当なものである(1)。刑法典217条によって自殺を望む者に生じる不利益はこの範囲を逸脱している。業務上の自殺援助の可罰性は,自己決定にもとづく死を求める権利の表出である自殺の権利が特定の状況下では現実的に広く無意味なものとなることを帰結する。このことにより,生命の終わりに関する自己決定は本質的な部分領域において無効化されるが,これはこの基本権の存在意義と一致しない(2)。

 

[265] (1)  個人の自由の制限は,個人にとっての不利益の程度が社会全体に生じるメリットと合理的な関係にとどまる場合にのみ相当なものである(vgl. BVerfGE 76, 1 <51>)。このことを確認するためには,基本権への介入がその実現に役立つような公共の福祉の利益と,これとかかわる当事者の法益への影響との間での衡量が不可欠である(vgl. BVerfGE 92, 277 <327>)。このとき,公共の福祉の利益は,個人により強度の自由への侵害が生じれば生じるほど,より重要なものでなければならない(vgl. BVerfGE 36, 47 <59>; 40, 196 <227>; Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland, Bd. III/2, 1994, S. 790)。他方で,完全に自由な基本権行使によって生じうる不利益や危険が大きければ大きいほど,共同体の保護はより喫緊の事柄となる(vgl. BVerfGE 7, 377 <404 f.>)。過剰介入禁止という尺度を用いた審査は,投入された手段が当事者の権利の不相当な侵害をもたらす場合には,それ自体正当な方法で追求される保護が後退せざるをえないという結論を導きうる。適合的で,場合によっては必要でもある措置を,投入された手段はこれによって生じる当事者の基本権制約を考慮してもなおこれによって実現されうる法益保護との間で相当な関係にあるのかどうかという観点での逆方向の審査に付すことでのみ,国家による介入の相当性審査はその意味を果たしうる(vgl. BVerfGE 90, 145 <185>)

 

[266] このとき,立法者の判断は,審査に付された業務上の自殺援助の禁止のケースのように,重大な基本権介入が問題となっている場合には,高い審査密度に服する(vgl. BVerfGE 45, 187 <238>)。とりわけ自己の生命に関する個人の個性,アイデンティティおよびインテグリティにとって自己決定がもつ存在意義は,立法者に自殺ほう助との関係で保護コンセプトを規範的に形成するにあたって厳格な拘束をもたらす。

 

[267] (2) 刑法典217条での業務上の自殺援助の禁止によって,立法者は,自己決定権の存在意義から生じるこの権利の制約限界を踰越した。たしかに,刑法典217条が保護しようとする自律と生命という法益がもつ高い憲法上のランクは,刑法の投入―抽象的危険犯という形態においてであっても-を原則として正当化しうる(a)。自殺とそのほう助が処罰されないということは,憲法上命じられた個人の自己決定の承認の表現として,立法者の自由な処理に委ねられていない(b)。業務上の自殺援助の刑法上の禁止は,人の助けを借りた自殺の可能性を,個人に対してこの領域においては自己決定に事実上憲法で保護された自由の保障の余地を残さないほどにまで縮減する(c)

 

[268] (a)  刑法典217条が保護しようとする自律と生命という法益がもつ高い憲法上のランクは,刑法の投入を原則として正当化しうる。

 

[269] 共同体生活にとっての根本的な価値を保護することで秩序づけられた人の共同生活を創出し,保全し,かつ実現するという国家の任務にあたっては,刑法が放棄しえない機能をもつ(vgl. BVerfGE 123, 267 <408>)。個別ケースにおいて国家の保護義務は,あらかじめ基本権侵害の危険を阻止するように法的な規律を形成することをとくに要求しうる(vgl. BVerfGE 49, 89 <142>)

 

[270] 立法者は,業務上の自殺援助の禁止によって,領域を特定した法益保護のコンセプトを追求している。刑法典217条は自殺の機会を業務として与え,作り出し,あるいはあっせんすることを生命を抽象的に危険にさらす行為として禁じている(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 3, 14; vgl. auch Rn. 25)。抽象的危険犯は,予防的な法益保護の理想的な手段である。それは,具体的な保護利益がその実存と安定において実際に関係していることを必要とせずに,典型的なリスクのかたちでの危険の萌芽を摘むものである(vgl. dazu bereits Rn. 25; vgl. allgemein Heine/Bosch, in: Schönke/Schröder, StGB, 30. Aufl. 2019, Vor § 306 Rn. 4; vgl. auch BVerfGE 90, 145 <203 f.>, abw. Meinung Graßhof; Kasper, Verhältnismäßigkeit und Grundrechtsschutz im Präventionsstrafrecht, 2014, S. 410)

 

[271]  たしかにこうした刑法上の保護の前倒しによって具体的な個別ケースにおいて後から考えればまったく危険をもたらすようなものでない行為形態までもが必然的に処罰可能となる(vgl. Stächelin, Strafgesetzgebung im Verfassungsstaat, 1998, S. 94; Lagodny, Strafrecht vor den Schranken der Grundrechte, 1996, S. 186)。しかし,憲法上,一般予防を理由として,単に一般的に法益を危険にさらすと考えられる行為を,事情によっては早い段階ですでに阻止することを立法者は原則として妨げられていない(vgl. BVerfGE 28, 175 <186, 188 f.>; 90, 145 <184>; vgl. auch BVerfG, Beschluss der 1. Kammer des Ersten Senats vom 11. August 1999 - 1 BvR 2181/98 u.a. -, Rn. 92; kritisch BVerfGE 90, 145 <205 f.>, abw. Meinung Graßhof)。それ以外の場合には,立法者は,高いランクをもつ法益にとっての,学問的ないし経験的な確実な知見が欠如しているせいで正確には評価できない危険に対処する可能性を認められていない(vgl. Appel, Verfassung und Strafe, 1998, S. 572 f.)。個別ケースにおいては,抽象的な法益保護に訴える権限は,保護されるべき法益の重要性によって定められるものである(vgl. Jäger, JZ 2015, S. 875 <882>)

 

[272] それゆえ,憲法が生命と自律とに承認する高いランクづけは,原則としてその実効的な予防的保護を正当化するにふさわしいものであるし,とりわけそれらには自殺ほう助の領域において特別な危険が迫っている。経験に裏付けられた自殺意思の脆弱性は,まさに自己の生命に関する決断はそれを実行に移すことが不可逆的なものであるということによって当然に特徴づけられるがゆえにとりわけ重要である。

 

[273] (b) しかし,生命の終わりに関する個人の自律的決定の保護のために行われる刑法の正当な投入は,自由な決定がもはや守られず,むしろ不可能なものとされている場合に限界を生じる。

 

[274] 自殺とそのほう助の不可罰は,憲法上命じられた個人の自己決定の承認の表現として,立法者の自由な処理に委ねられていない。基本法の憲法秩序は,人間の尊厳および自己決定と自己責任において人格を自由に発展させることによって定まる人間像に根拠を置いている(vgl. BVerfGE 32, 98 <107 f.>; 108, 282 <300>; 128, 326 <376>; 138, 296 <339 Rn. 109>) 。この人間像は,あらゆる規律アプローチの出発点でなければならない。

 

[275] 自己決定と生命のために行われる国家の保護義務は,生命に関する自己決定が危険に晒されるような影響が生じる場合に,個人の自由権に対して首尾一貫して優越性をもちうる。法秩序はこの影響に予防措置および保護手段を通じて対抗しうる。こうしたことを越えて,自己の存在の意味づけに関する理解に応じて命を断つという個人の決定は,それでも自律的な自己決定の行為として承認されるべきものである。

 

[276] 自己決定にもとづく死を求める権利の承認は,一般的な自殺予防に取り組み,とりわけ病気による自殺希求に緩和医療の提供を構築し強化することによって対抗することを立法者に禁ずるものではない。国家は,他者によって生命が脅かされるという攻撃を阻止することだけで,自律的な生命の保護義務を満たすわけではない。国家は,現在の,予測可能な現実の生活関係に根拠をもち,個人の決定が自殺には有利に,生命には不利に影響しうる自律や生命への危険にも対抗しなければならない(vgl. BVerfGE 88, 203 <258> für das ungeborene Leben)

 

[277] しかし,立法者は,自律を危険に晒すリスクに個人の自己決定の完全なる停止によって対抗しようとすることで,その社会保障政策上の義務から逃れてはならない。立法者は,医療ケアや社会保障に関するインフラの欠如にも,自己決定の喪失という不安を掻き立て,自殺の決意を後押しかねない医療上の過剰ケアというネガティブな現象にも,憲法上保護された自己決定権を無効化することで対処することはできない。個人には,生命維持を目的とした提案を拒否し,自己の存在の意味づけについての自分なりの見解にもとづく,第三者の助けを借りて自らの生命を終わらせるという決定を実行に移す自由が残されていなければならない。自律に反する生命保護は,人間の尊厳を価値秩序の中心に置き,それゆえに憲法の最上位の価値である人の自由な人格の尊重と保護とを義務づける共同体の自己理解に反するものである。自己決定による人格の保持にとって自殺の自由がもちうる本質的な意義に鑑みれば,自殺の可能性が現実に即した考慮を行うにあたって常に保障されていなければならない(vgl. Rn. 208 ff.)

 

[278] (c) 業務上の自殺援助の禁止は,憲法上絶対に保障されるべき自律的自己決定の展開領域を侵害している。たしかに,刑法典217条の規律は,それがもっぱら業務上の自殺援助を立法者によって特別に自律を危険に晒すとみなされた事象として刑罰による威嚇の下に置くことによって,憲法上命じられた自殺とそのほう助の不可罰性を原則として承認している(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2)。しかし,この禁止は独立の法的行為として行われるものではない(aa)。かかる禁止は,その採用にあたって見受けられた法律状況との組み合わせによって,自殺の権利のほとんどを事実上無効化するという結果となる。なぜなら,業務として行われるのではない自殺ほう助,緩和ケアの提供の法律による構築,およびホスピス業務がなおも処罰されないことや外国における自殺ほう助手段の利用可能性は,業務上の自殺援助の禁止によって生じる基本権上の自由に対する制限とバランスが取れていないからである。個人は自己決定権の侵害なしにはこれらの選択肢の利用を無理強いされない(bb)

 

[279] (aa) 刑法典217条は,自殺の決意に自由と熟慮が欠けているという反論の余地のない疑いをかけることによって,業務上の自殺援助の絶対的禁止という保護のアプローチを採用し,規律される領域における個人の自己決定を完全に停止している。このことによって,自由に自己決定をし,自己を発展させることのできる存在としての人間という憲法上の基本観念(vgl. BVerfGE 32, 98 <107 f.>; 108, 282 <300>; 128, 326 <376>; 138, 296 <339 Rn. 109>)が曲解されている。それゆえ,ここでは,抽象的危険犯の導入によって法益保護をするという一般的に正当化される利益は,自己決定に事実上の余地を残し,個人に自己イメージや自己理解と対立する生を押しつけないためにも,自律保護に対してより深刻なものとはならない措置に席を譲り,後退すべきものである。

 

[280] たしかに,刑法典217条の規律は,特定の-業務上の-形態での自殺援助に限定されている。しかし,いずれにせよ,これによって生じる自律の喪失は,残された選択肢が単に理論的な観点で自己決定を可能にするにとどまり,事実の観点ではそうではない限りにおいて比例的ではない。刑法典217条がもつ自律にとって対抗的な効果はまさに,さまざまなシチュエーションにおいて個人に業務上の自殺援助の提供以外には,自殺の決意を実効に移すための現実的な可能性が残されていないということによって強められている。

 

[281] (bb)  刑法典217条により個別ケースにおいて処罰されないままとなっている自殺ほう助を狭く解する場合でも(α),緩和ケアの提供 (β),あるいは外国における自殺ほう助手段の利用(γ)も,憲法上命じられた生命の終わりの自己決定を十分に貫徹させるものではない。

 

[282][300] (略)

 

[301] (cc) 最後に,第三者保護の視角は,刑法典217条から生じる個人の自己決定権の制限を正当化することができるようなものではない。たしかに,個人は,共同体関連性・共同体拘束性という意味で,立法者が社会的共同生活の維持と促進のために所与の事実関係において一般的に要求可能な限界において設定した基本権上の自由の制限に服する。しかし,このとき個人の自律性は保持されていなければならない(vgl. BVerfGE 4, 7 <15 f.>; 59, 275 <279>)。たとえば,自己決定が弱く,それゆえに保護を必要とする個人にとって業務上の自殺援助の提供がもつ模倣効果の阻止や誘因効果の封じ込めといった,第三者保護の利益は,たしかに原則として自殺予防行為を正当化しうる。しかし,この利益は,個人が自殺の権利の事実上の無効化を受忍しなければならないことを正当化するものではない(Rn. 273 ff., insbes. Rn. 281 ff.)

 

[302] 4. この評価は,基本権の内容と射程を決定するに際して解釈指針として援用されうるヨーロッパ人権条約 (vgl. BVerfGE 111, 307 <317 f.>; 149, 293 <328 Rn. 86>)およびヨーロッパ人権裁判所によって定式化された原則的な条約法の評価と一致する(vgl. BVerfGE 148, 296 <354 Rn. 132, 379 f. Rn. 173 f.>)

 

[303][304] (略)

 

.

 

[306] その他の異議申立人の憲法異議は,同様に理由がある。刑法典217条は,職業の自由(基本法121項),補充的に一般的行為自由(基本法21項)の憲法適合的な制限ではない(1.)。加えてこの規律は,自然人として刑罰による威嚇の名宛人となっている異議申立人について,基本法1041項と結びついた222文の自由権を侵害している(2.)。憲法異議申立人II. およびIII. 2.は,さらに業務上の自殺援助の処罰と結びついた秩序違反法3011号にもとづく罰金刑によっても,基本法21項の基本権を侵害されている(3.)

 

[307] 1. 異議を申し立てた医師および弁護士にとって,その者らがドイツ国籍を有する限りで,業務上の自殺援助の禁止に対する憲法上の保護が基本法121項から生じる(a)。スイス国籍をもつ医師である憲法異議申立人VI. 2.,異議を申し立てたドイツの団体およびその組織上の代表者と従業員については,いずれについても一般的行為自由の保護が及ぶ(b)。これらの基本権への介入は憲法上正当化されない(c)

 

[308] a) ドイツの医師および弁護士である憲法異議申立人III. 6., IV., V. 1. ないしV. 4. およびVI. 3.は,基本法41項第2類型によって保護された良心の自由を侵害されてはいないが(aa),職業の自由の基本権が侵害されている(bb)

 

[309] aa) 良心の決定は,よき政治秩序や理性,社会正義や経済的有用性に関する真摯で強い見方を根拠とする人間の行為の目的適合性についてのあらゆる関係的な決定ではなく,もっぱら本心からくる倫理的な,善と悪のカテゴライズに関わる決定である。それは,個人が特定の状況において自ら拘束され,無条件に従うように内心で考えるものであり,それゆえに,個人は深刻な良心の危機状況に陥ることなしには良心の決定に反して行動することができない(vgl. BVerfGE 12, 45 <55>; 48, 127 <173 f.>)。このような良心の決定を根拠として行われる,それ自体は反復して行う意図のない自殺の機会の保障,調達およびあっせんは,業務上の自殺援助ではなく,刑法典2171(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 2, 18)の対象ともならない。

 

[310] bb) しかし,刑法典217条の規律は,それがドイツ国籍をもつ医師や弁護士に対して,医療上あるいは弁護業務上の職業遂行-長期的に行われ,生存の基礎の創出や維持に資する活動(vgl. BVerfGE 7, 377 <397>; 54, 301 <313>; 102, 197 <212>; 110, 304 <321>; 126, 112 <136>)の枠内において業として行われる自殺の機会の保障,調達ないしあっせんを刑罰の威嚇を伴って禁じる限りにおいて,その者らの職業の自由に介入している。

 

[311] 職業活動の一環として行われる自殺ほう助は,もとから職業の自由の保護領域から排除されるものではない(a.A. BTDrucks 18/5373, S. 12 in Anlehnung an VG Hamburg, Beschluss vom 6. Februar 2009 - 8 E 3301/08 -, juris; Lorenz, MedR 2010, S. 823 <824>; Neumann, Die Mitwirkung am Suizid als Straftat?, 2014, S. 266)。とりわけ,刑法典217条の単純法上の禁止そのものは,業務上の自殺援助を職業の自由による基本権の保護から排除していない。なぜなら,法律上の禁止にとっての憲法上の尺度としての〔基本権〕保障の保障内容は,単純法律によっては決定されえないからである(vgl. BVerfGE 115, 276 <300 f.>; vgl. auch Lorenz, MedR 2010, S. 823 <825>)

 

[312] 基本権上の保護の拒否は,社会や共同体を害することを理由としてそもそも職業の自由の基本権による保護を受けられないがゆえに,すでにその本質からして禁じられたものと見なされるような活動に関して考慮されるにすぎない(vgl. BVerfGE 115, 276 <300 f.>; 117, 126 <137>)。このことは,自殺ほう助が業として行われる形態で提供される場合にも妥当しない。

 

[313] b) スイス国籍を持つ医師である異議申立人VI. 2.,ドイツの団体である異議申立人II. および III. 2.,およびその組織上の代表者と従業員である異議申立人III. 3. ないし III. 5.は,業務上の自殺援助の禁止によって,特別な自由権を侵害されているわけではなく(aa),一般的行為自由(基本法21項)の補充的保護を主張できるにとどまる(bb)

 

[314] aa) 異議申立人らは,職業の自由の保護にも(1),結社の自由の保護にも(2)依拠することができない。

 

[315][329] (略)

 

[330] bb) しかし,異議申立人III. 3.およびIII. 5.III. 4.およびVI. 2.,そして異議を申し立てているドイツの団体は,刑法典217条の基準に衝突しないようにするため,自殺ほう助の調達およびあっせんに向けられた活動を(さしあたり)中止することを余儀なくさせられたことによって,一般的行為自由(基本法21項)を侵害されている。

 

[331] c) 基本権介入は正当化されない。業務上の自殺援助の禁止は,自己決定により自殺を決意した個人の一般的人格権との不一致のゆえに(Rn. 202 ff.),客観的憲法に違反しており,したがって直接的な規範の名宛人に対しても無効である(vgl. BVerfGE 61, 82 <112 f.>)。刑法典217条によって刑罰の下に置かれた行為に対する憲法上の保護は,異議申立人II., III. 2.ないしIII. 6., IV., V. 1.ないしV. 4.ならびに VI. 2.およびVI. 3.の基本権と基本法11項と結びついた21項で導き出される自己決定にもとづく死の権利との機能的交錯から生じる。助力を申し出る第三者の支援と見送りの下で自殺するという,自己決定にもとづく死の権利の具体化として保護される個人の自由は,自殺ほう助者の基本権による保護と内容的な依存関係にある。自殺の決断は,その実行にあたって,単に事実的な観点で,第三者が自殺の機会を付与し,調達し,あるいはあっせんする用意をしているかどうかによって左右されるにとどまらない。第三者は自殺ほう助の用意を法的にも実行しうるのでなくてはならない。そうでなければ,個人の自殺の権利は事実上無意味である。このような法的依存関係があるケースにおいては,関与者の行為態様は機能的な関連のなかにある。ある者の行為に対する基本権による保護は,他の者の基本権行使にとっての前提である(vgl. Kloepfer, in: Festschrift für Klaus Stern, 2012, S. 405 <413 ff.>)2人の個人が基本権を共通の目的に向けられた方法(本件では人の助けを借りた自殺の希望の実現)において行使しうることによってはじめて,自己決定にもとづく死の権利の憲法上の保護が実効的なものとなる。それゆえ,自殺の権利の保障は,それにふさわしい自殺援助者の行為の基本権による広範な保護と対応している。

 

[332] 2. さらに,自由刑の威嚇によって,業務上の自殺援助の禁止は,自然人として刑法典217条の直接の規範名宛人である異議申立人III. 3.ないしIII. 6., IV., V. 1. bis V. 4.ならびにVI. 2.およびVI. 3.の基本法1041項と結びついた222文の自由権を侵害している(vgl. BVerfGE 96, 245 <249>; 101, 275 <287>; 140, 317 <345 Rn. 58>)

 

[333] 3. 秩序違反法3011号にもとづいて科せられる可能性のある,業務上の自殺援助の禁止と関連した過料の付加は,異議申立人II.およびIII. 2.の基本法21項の基本権を侵害している。この権利は,-異議申立人III. 2.によって明確に主張された,資産そのものを保護するものではない(vgl. BVerfGE 4, 7 <17>; 74, 129 <148>; 81, 108 <122>; 96, 375 <397>)基本法141項の財産保障とは異なり-(不当に)罰金を科せられない権利を含んでいる(vgl. BVerfGE 92, 191 <196>)

 

III.

 

[334] 刑法典217条は,憲法適合的解釈が可能なものではない。業務上の自殺援助を特定の状況においてはなお許されたものと宣言する規範の適用範囲の限定解釈は,立法者の意図に反するものであり,それゆえに法律の十分な明確性の要請(基本法1032項)と一致しないオリジナルな裁判官立法にほかならない(vgl. BVerfGE 47, 109 <120>; 64, 389 <393>; 73, 206 <235>; 105, 135 <153>)

 

[335] このことは,とりわけ自由答責的な自殺に対する援助に可罰性を認めない解釈について妥当する(vgl. zu einem solchen Ansatz Kubiciel, ZIS 2016, S. 396 <402>)。この解釈は,立法者の思うところ(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 3)と矛盾する。結果的に,この解釈は規定を現実的に無意味なものとしてしまうだろう(vgl. Riemer, BRJ 2016, S. 96 <101>, zugleich m.w.N. zu abweichenden Ansätzen)

 

[336] 医師を刑法典2171項の禁止から除外するという解釈も不可能である。立法者は刑法典217条を一般犯として形成したのであり,医療従事者への優遇を意識的に度外視している(vgl. BTDrucks 18/5373, S. 18)

 

IV.

 

[337] 1. 刑法典217条は,憲法違反が確認されたため,無効と宣言される(§ 95 Abs. 1 Satz 1 BVerfGG)。不一致宣言にとどめるための条件は存在していない(vgl. BVerfGE 128, 282 <321 f.>; 129, 269 <284>)

 

[338] 2. 刑法典217条が違憲であることからは,立法者は自殺ほう助に対する規律を完全に放棄すべきとの結論が導かれるわけではない。立法者は,自己の生命の終わりに関する決定に際しての自律のために課せられた保護義務から,憲法上異議を唱えられるべきでない方法で作為委託を引き出した(vgl. Rn. 231 ff.)。しかし,立法による保護のコンセプトは,基本法の憲法秩序に根拠を置いた,自由に自己決定し,発展することのできる知的-道徳的な存在としての人間という観念によって方向づけられるべきものである(vgl. BVerfGE 32, 98 <107 f.>; 108, 282 <300>; 128, 326 <376>; 138, 296 <339 Rn. 109>)。自己決定することのできる人間としての個人の憲法上の承認は,国家による干渉を,医療上・投薬上の質保証および濫用防止の要素によって補完されうる自己決定の保護に厳格に限定することを要求する。

 

[339] 自己の生命に関する自己決定の保護に関して,立法者には,組織化された自殺ほう助という現象との関連で,手段の多様な方向性が開かれている。それらは,たとえば法律上定められた疎明と待機の義務のような手続的な保全メカニズムの実定化から,自殺ほう助の提供の信頼性を確保する許可留保を経て,刑法典217条の規律コンセプトにあるような自殺ほう助のとくに危険な態様の禁止にまで及ぶ。それらは,保護されるべき法益の重要性に鑑みて,刑法で定められうるものであるし,あるいは何らかのかたちで違反に対する刑法上のサンクションを通じて守られうるものである(vgl. dazu bereits Rn. 268 ff.)

 

[340] しかし,自殺の権利の憲法上の承認が個人の自殺意思を根拠づける動機にも及び,それゆえに客観的な理性を尺度とする評価から免れている(vgl. Rn. 210)ことからすれば,自殺ほう助の許容性を実体的な基準に服さしめ,たとえば治癒の見込みがないであるとか,致命的であるといった病状があることを要求することは禁じられる。このことは,人生の時期に応じて自殺意思の真摯さや永続性の証明に異なった要求がなされうるということを阻むものではない。手続的な保全コンセプトを展開することは立法者の自由である。

 

[341] もっとも,人の手を借りた自殺のあらゆる規制は,それが自由な決定にもとづいて第三者の援助のもとで世を去るという個人の憲法上保護された権利に,事実上も十分な発揮と実行の余地を残しているということを確実にしておかなければならない。このことは,医師および薬剤師の職業法令の首尾一貫した形成だけでなく,可能な限り麻酔剤法令による対応も要求する。

 

[342] 法秩序の首尾一貫した形成の責務は,医薬品および麻酔剤法令の領域で定められた消費者保護および濫用防止の諸要素を維持し,自殺ほう助の領域での保護コンセプトにそれらを組み込むことを排除するものではない。これらすべては,自殺ほう助の義務は存在してはならないということに抵触しない。

 

D.

 

[343] (略)